1.妊娠中に発症しやすい精神障害とは
女性にとって妊娠・出産とは、人生において大きなイベントです。妊娠が分かると本人やパートナー、ご両親やご家族みんなが喜び、祝福されるという幸せを感じることが多いでしょう。
しかし、その嬉しさや幸せを感じる一方で、妊娠中は精神障害を発症しやすい時期であるとも言えます。これまで、過去に精神障害を患っていて症状が落ち着いている人や、精神的な落ち込みを経験したことがある人といった、精神障害の経験や辛い思いをしてきたような過去がない人でも、妊娠中~出産後は精神障害にかかりやすいのです。
特に妊娠中にかかりやすいと言われている精神障害として、「妊娠期うつ病」が最もよく知られています。このうつ病は、妊娠中に約7~20%の高率で出現すると言われており、さらに妊娠中のうつ病は産後うつ病に移行する恐れが高いとされています。妊娠中に発症した精神障害は、胎内の赤ちゃんへの影響や産後の子育てに大きく影響を与えてしまうため、発症した時点での適切な治療やサポートが必須であると言えます。
しかし、うつ病になった妊婦の多くは適切な治療を受けていないというのが現状です。妊婦が心身ともに苦しい状態になっているのにもかかわらず、周りは「妊娠や出産が大変なのは当然のこと」という意識でいるために、妊婦本人は「心と身体が不調なのは、仕方がないことなんだ」「我慢しないといけないんだ」と思ってしまいます。
その結果、少し不調があっても頑張ろうとする妊婦や「赤ちゃんのためにお薬を使った治療はしたくない」と思う妊婦が、不調を産婦人科の担当医に話すことをためらい、適切な治療が受けられないまま妊娠期を過ごすということになります。
そして、妊娠中に発症したうつ病というのは、出産後に産後うつ病に発展してしまい、より一層母親自体を苦しめてしまうことになるのです。
その他に、「マタニティブルーズ」という言葉が知られていますが、これは産後の一時的な気分の落ち込みであり一過性の不調です。妊娠期うつ病や産後うつ病とは異なり、時間が経過するとともに自然に症状がおさまることが特徴的です。
また、妊娠期うつ病の他にも、妊娠中に発症しやすい精神障害がいくつかあります。
これらを含めた妊娠中の精神障害は、本人も家族も「妊娠中の辛さは当たり前」と考えることで見逃してしまい、出産後の育児や社会生活、さらには日常生活まで大きな影響を与えることになりかねません。
2.妊娠中に精神障害を発症する原因
妊娠中に精神障害を発症する原因には、「身体の変化」による身体的なストレスと「周囲の環境など」による精神的なストレスの2つが挙げられます。これらが合わさって、脳に大きなストレスを与えて機能障害になり、妊娠中のうつ病を発症させると考えられています。
身体的なストレス
妊娠中に起こる、ホルモンバランスの変化や自分の体型の変化、つわりなどの妊娠中に起こる身体症状などが大きなストレスになることが原因の一つです。具体的なストレスの例は、次のようなものがあります。
- 腹部が大きくなる、胸が大きく張るといった体型の変化
- 気分の落ち込み
- つわりや食欲不振がつらい
- 寝付けない、途中で覚醒する
- だるさで意欲が低下する
- 便秘や下痢になりやすい
- 身体のむくみがつらい
- 恥骨の痛み、腰の痛みがつらい
- 絶対安静が必要になった
- 管理入院が必要になった
人によってつらいと感じる状況は異なりますが、妊娠中は様々な身体的ストレスが重なり、赤ちゃんの成長具合によってストレスの要因は変化していきます。
精神的なストレス
妊娠中に起こる精神的なストレスとして、本人の妊娠・出産、育児への不安やパートナーとの関係性、周囲のサポート環境の不十分などが原因となります。具体的なストレスの例は、次のとおりです。
- 出産後の生活への不安
- 子育てがきちんとできるのか不安
- 妊娠前と生活が変わってしまうことへの不安
- パートナーからの協力が得られない状況
- 健康な赤ちゃんが産まれてこないかもしれないという不安
- 母親、妻としての責任が重圧になっている
- 核家族のため、周りにサポートしてくれる大人がいない
精神的なストレスは、自分から発言しなければ周りに気付いてもらえないことが多いです。しかし、なかなか不安を口に出すことを憚れる妊婦が多く、それらもまた周囲のサポート体制が整っていないことが原因とされています。
3.妊娠うつ病の症状とは
妊娠中に発症しやすい精神障害のうち、特に多くの妊婦さんが発症している「妊娠うつ病」の症状について、以下に示しております。
- 気持ちの浮き沈みが激しい
- 産後のことを考えて、「幸せな気持ち」になることもあれば「不安でたまらない」こともある
- すぐにイライラしてしまい、その対処法が分からない
- 食欲にムラがある 涙もろくなり、ふとした時に泣いてしまう
- 他人との交流が面倒に感じてしまう
- 気力がわかず、何もしたくなくなる
- 寝つきが悪くなる
- 身体がだるくなる
このような症状は、妊娠うつ病特有の症状ではなく、一般的なうつ病の症状にも見られるものです。しかし、妊娠中に不安や気分の落ち込みなどを感じてしまうと、「どうしてこんな思いをしなければならないのか」「赤ちゃんを育てる自信がない」と思ってしまいます。
そして、自分の弱さを責めたり自己嫌悪になったりとネガティブな方向に進んでいきます。その結果、さらにうつ病状は進行するという悪循環を招くことになるのです。
4.妊娠中の精神障害に対する診断
妊娠中の精神障害として、特に妊娠期うつ病は「初産婦」が多く再発しやすいと言われています。また、妊娠中のうつ病によって、胎児発育不全や分娩時合併症の増加、養育能力の低下、児童虐待、自傷・自殺などの問題に繋がると言われています。そのため、早期に診断し適切な治療を受けることが重要となります。
妊娠中の精神障害においてリスク評価をするためには、NICE(英国国立医療技術評価機構)推奨の、「うつ病」に関する2項目の質問、「全般性不安障害」に関する2項目の質問を行います。
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2項目の質問
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うつ病
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過去1ヵ月の間に、気分が落ち込んだり、元気がなくなる、あるいは絶望的になって、しばしば悩まされたことがありますか?過去1ヵ月の間に、物事をすることに興味あるいは楽しみをほとんどなくして、しばしば悩まされたことがありますか?
⇒1項目でも「はい」の回答がある場合、精神科への受診を勧める
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全般性不安障害
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過去1ヵ月の間に、ほとんど毎日緊張感、不安感または神経過敏を感じることがありましたか?過去1ヵ月の間に、ほとんど毎日心配することを止められない、または心配をコントロールできないようなことがありましたか?
⇒1項目でも「はい」の回答がある場合、精神科への受診を勧める
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このような質問項目の他に、アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5の「抑うつ状態」の基準をもとに診断をしていきます。また、発症する要因を探すために、危険因子とされている「精神科既往歴」「望ましい妊娠であったか」「パートナーからの協力があるか」「親との関係性」などを含めて、しっかりと問診していきます。
5.精神障害のある妊婦に対する治療方法
①薬物治療
精神障害のある患者さんへの治療として、向精神薬を使用した薬物療法を選択されることが多いです。向精神薬には、抗うつ薬や抗不安薬、抗精神病薬、睡眠薬、気分安定薬などがあり、これらの薬は症状に合わせて服用することになります。
しかし妊娠中の母親は、「自分の飲んだ薬が赤ちゃんに影響したらどうしよう」と考えてしまい、母親として胎内の赤ちゃんの健康を考えて薬物治療を行うべきか迷う方も多くいます。実際に、妊婦さんは様々な妊娠中の辛い症状があっても、風邪薬でさえ内服することを戸惑い、結局は内服しないで経過したという方も多いでしょう。
向精神薬の中には、妊娠中にも比較的安全に使用できるものもありますが、内服に注意が必要な薬剤もあります。抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬等の向精神薬では、先天奇形や出生時低体重、離脱症候群等のリスクが高まるなど胎児や新生児に影響する可能性があると考えられています。しかし適切な治療が行われないと、母親の不安やうつ状態が胎内の赤ちゃんにも伝わり、発育不全や情緒面や行動に影響を与えてしまう恐れもあります。
そのため、妊娠中の精神障害に対して薬物治療を選択する場合は、リスクとベネフィットをしっかりと見比べて慎重に考える必要があります。
②その他の治療方法
薬物治療は、認知行動療法やカウンセリングだけでは効果が出ない重症のうつ病妊婦に行う方法です。薬物治療を選択されない、軽症~中等度の場合は、その他の方法として心理療法(認知行動療法)が行われます。
不安や辛さでごちゃごちゃになっている頭の中を整理し、自分の強みへの気づきを促していきます。認知と行動パターンを振り返り、環境に適応できる考え方と行動に変えていきます。
また、妊婦さんがうつ病などの精神障害になった原因が、パートナーや家族、周りのサポート体制の不十分さがある場合は、周囲へのアプローチも必要になります。妊娠中の女性に対して、どのようなサポートが必要なのかを考え、無事に妊娠~出産そして子育てができる環境を整えることが大切です。
6.心の不調を感じた妊婦が注意すること
これまで精神障害の既往があった妊婦であれば、心の不調に気付きやすいかもしれません。しかし、この妊娠をきっかけに妊娠うつ病などの精神障害を発病したという妊婦さんであれば、もしかしたら心の不調を「妊娠によるものだから、我慢すればいい」と思う場合もあるでしょう。
しかし、心の不調から様々な問題を引き起こす恐れがあります。そこで、次のような注意点を参考にしてみましょう。
①規則正しい生活を送る
妊娠中は、つわりや食欲不振による栄養バランスの偏りと食生活の乱れ、睡眠が充分に確保できないことによる睡眠不足などが起こります。食事や睡眠の乱れがより一層、精神的な不安定さに繋がることになります。
できるかぎり規則正しい生活を送り、身体と心のために休息と栄養を補うことが大切です。
②一人で悩まない
妊娠中とは関係なくうつ病になりやすい人の特徴には、責任感が強い、我慢強いなどが挙げられます。一人で不安を抱え悩み続けることで、よりうる症状が進む恐れがあります。
どのような些細な不安や気になることでも、身近な人や先輩ママに相談することが大切です。
③周囲のサポートを受ける
妊娠中の女性は、家庭と仕事の他に自分の身体のことを常に考えて生活しています。家庭においては、パートナーや親からのサポートを受けられるように相談し、仕事においては同僚や上司に相談してみると良いでしょう。
④医療機関に受診し相談する
妊娠中のうつ病などの精神障害には、早期なサポートや場合によっては薬物治療が必要になる場合があります。そのため、産婦人科だけではなく、精神科や心療内科などを受診し相談することが大切です。
7.精神障害のある妊婦に対して周囲の人ができること
うつ病を含めた精神障害のある妊婦さんに対して、周りの人はしっかりとサポートすることが大切です。その際、「妊娠・出産、子育ては大変なのが当たり前」という言葉をかけるのは避けましょう。
妊婦さんを鼓舞している気持ちを含めたとしても、かえって妊婦さんを苦しめる状況になり得るのです。
精神障害のある妊婦さんが自分を責めていたり自己嫌悪になっている場合は、周りの人は寄り添い話を聞くことが大切です。辛い思いを受け止め、妊娠中~出産、子育てに対する不安を少しでも取り除いてあげましょう。